接客業をしていると見えてくる人生に余裕のある人とない人

僕はファストフード店で接客のアルバイトをしている。すると、やって来るお客さんは大きく2つのタイプに分類出来ることに気づいた。

【type1】

身のこなしがスマートで、店員に笑顔を見せたり、物腰の柔らかい人

 

【type2】

初めからイライラしていて、落ち着きがなく、無愛想な人

 

このタイプによって、その人の仕事・人間関係・家庭といった、どんな生活をしているのかかが見えてくる。

 

type1の特徴

  1. 財布の中が整理されている

2つのタイプにほとんど外見的な違いはない。しかし、接客をしていると見えてしまう財布の中身が大きく異なる。type1の人が持つ財布がレシートで溢れかえっていたり、よく分からないが膨れ上がっているということはほとんどない。

みなさん、勝手に見てしまいごめんなさい。どうしても目に入ってくるんです。

  2.  男性が多い

なぜか、男性が多い。男性の場合、笑顔であることはあまりないが、物腰が柔らかい人が良く見られる。男性の方が収入面で安定しているため、心に余裕があるのかもしれない。また、日々、営業なので人付き合いに人一倍気をかけているという職業的な側面も関係しているだろう。休日にやって来る男性は妻と子供を連れいている場合が多いが、そういう人は大抵、低姿勢だ。それは、日々、妻に気を遣い、尻に敷かれているからかもしれない(笑)

  3.  女性の場合、外に働きに出ていそう

これは、ほとんど憶測なのだか、印象として専業主婦というよりも、職に就いていそうな女性は笑顔であったり、気さくだったりする。ただ、タメ口が多いのだが(笑)働きに出ていそうだなと判断する基準は「スーツである」「職業のユニホームである(女医さんがよく来る)」「おしゃれしている」「少し性格のキツそうな目つき」「お昼休憩の時間帯に来る」といったものだ。「おしゃれである」や「性格のキツそうな目つき」は僕の勘でしかないが…。

  4.  意外と若者が多い

意外なことに、大学生くらいに見える若者が多い。これは、家庭を持っている訳でもなく、たくさん遊ぶことが出来て、時間的余裕もあるからだろうか。ストレスがあまりないように見えることが多い。

 

type2の特徴

  1. 財布の中がグチャグチャ
  2. 小さな子供を連れたお母さん

小さな子供と一緒に来る女性は、基本、無愛想である。小さな子供がいると、やはりストレスも多いのだろうか。ただ、小さな子供が側から離れない様にやイタズラをしないように気をかけているため、注文することに集中できていない様にも見える。

  3.  普通のおばさん

普通のおばさんというと分かりづらいが、専業主婦の様に見える女性だ。特徴として、「平日の昼間に買い物ついでにやってくる」「おしゃれに気を遣っているように見えない」「クーポンを多用する」「大体40代〜50代前半」という感じだ。この様な人は、家庭以外に属するコミュニティが無かったり、ストレスを発散する方法を持っていないのかもしれない。

  4.  明らかに少し変な人

こんな言い方は良くないかもしれないが、事実、世の中には明らかに言動がおかしな人がいる。少数ではあるものの存在するのだ。この様な人もtype2に分類させていただく。

 

人生に「余裕のある人」と「余裕のない人」

接客している時にtype2の人が来ると、少しイラッとするが、その態度辞めてくれとか、そんな大層なことは思わない。

むしろ、ストレスやら悩みやらを抱えていて辛いのだろうな。と可哀想に思えて来る。「子供を持つお母さん」や「家庭以外のコミュニティを持たぬ人」「信頼のできる友人がいない人」は、やはり人生に余裕がないのだろう。

それと比べると、「家庭の外に居場所がある人」「大切な仲間がいる人」「好きなことをしている人」は人生に余裕がある。

接客をしているだけで、現代社会が抱える問題や生き方について深く考えさせられる。

渋谷の「塾クーポン」がすごい!!画期的すぎる!?

貧困家庭に“塾代クーポン”提供へ 渋谷区|日テレNEWS24

渋谷区が複数のNPOと協力して、塾に行けない中学3年生を持つ貧困家庭を対象に、塾や家庭教師の費用の支払いに使える「スタディクーポン」を配布する。その資金はクラウドファンディングにより寄付金を募り、賄われる。

 

このニュースを知ったとき、私は「行政がクラウドファンディングを活用するなんて、すげー画期的だなー!!」と感嘆してしまった。近年、夢を実現させたい人とそれを資金面で応援する人をインターネット上でマッチングする資金調達の方法である「クラウドファンディング」はかなり世の中に浸透して来たように思える。だが、まさか行政までに及んでいるとは思ってもいなかった。驚きと共に革新的な試みが何だか嬉しく思った。さすが、渋谷と。

 

しかし、行政がクラウドファンディングを活用するのは、2013年の鎌倉市の試みが初めてらしい。観光ルート板を新設するために、100万円の資金調達を実施した。これは22日間で達成されたという。

そして、自治体のクラウドファンディングの活用は、34都道府県、133市区に達しているらしい。

まさか、そんなに進んでいたとは…。

参照:自治体における資金調達手段:ふるさと納税から派生した行政のクラウドファンディング : 富士通総研

 

資金調達の方法にも驚いたが、「スタディクーポン」というプロジェクト自体も凄いと思う。

私自身、中学時代、塾に通った。塾に通う以前と以後では正直全く成績の出来が異なった。通う前はほぼ「オール3」状態だった成績が、通うと、ほとんど「5」で埋め尽くされた成績表へと変貌した。その後、進学校といわれる高校への進学、大学への進学に確実に影響した。

中学生の頃に塾に通うという経験は、「勉強のコツ」を教えてくれると思っている。この「勉強のコツ」は大学受験までに通用するのだ。

もちろん、大学に進学するという選択が全てではないと思うし、やりたいことがあるなら全く行く必要などないと思っている。

しかし、「貧困が貧困を生む」(貧困の悪循環)と良く言われる様に、金銭面で塾に通えなかったことにより学べなかった「勉強のコツ」は大学受験に影響を与え、進学を諦めざるを得なくなり、大卒とそうで無い場合の給与の差に頭を悩まされることになってしまうかもしれない。

「スタディクーポン」という試みは、そんな日本の根深い問題の解決への糸口になるかもと期待してしまう。

 

 

 

 

ミスドでドーナツを無料で貰うために1時間並ぶのはおバカ?

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こんな記事が少し話題になった。

ドーナツ2個を無料でもらうため1時間並ぶ人の多さ 80代男性が警鐘 - ライブドアニュース

ミスタードーナツで8月に開催された、auユーザーへの三太郎の日というキャンペーンに関するお話である。

auユーザーでau STAR会員であれば、誰でも無料でドーナツ2つ相当(280円分)が貰えるというものだ。

 

この記事では、80代のおじいさんが「ドーナツ2つのために1時間も並ぶのは愚かで、日本の将来が心配だ」と感じて送ってきたお便りを紹介している。

 

ドーナツを無料で貰うための1時間はもったいない?

80代のおじいさんは「1時間働いた賃金でドーナツを待たずに買おうとなぜ思えないのか。」と不満を漏らす。

例えば、時給950円でアルバイトをしている人が280円のドーナツを1時間並んで手に入れたとすると、670円損したことになる。

が、しかし、

この理論は本当に成り立つのだろうか。

ドーナツを貰うために並ぶ時間にアルバイトのシフトが入っていたのなら話は別だが、ほとんどの人がその時間は特に何もすることのない時間だったのではないだろうか。

だとしたら、

働かずして、暇つぶしがてらドーナツが貰えるという、何とも嬉しい話なのである。

 

ここで論点となるのは「ドーナツを貰うために何かを引き換えにしたのかどうか」である。

もし、ドーナツを貰うか友人と会うかというトレードオフを選択していた場合、670円とは比較出来ない程、多大な損をしているかもしれない。その日、友人と会っていれば、その友人の知り合いが通りすがり、その人は実は自分の運命の人だったなんてことがあったかもしれない。

無いか。

 

ドーナツを貰うことによって失ったのは「お金のための時間」ではない

ドーナツを貰うために人生の大切な1時間を使ったのは紛れも無い事実だ。

しかし、そんなこと言い出したら、ディズニーランドでアトラクションに乗るために2時間並んだり、何もせずにゴロゴロと1日過ごすなんてのは、もっと時間を無駄にしていると言えてしまうのではないか。だが、「ディズニーランドに行くのは辞めて、その時間で働きなさい。ああ、日本の将来が心配だ。」なんて言う人はいないだろう。むしろ、雑踏とした日常を忘れ、並んででもアトラクションに乗り楽しむことは良いことだと思う人が多いだろう。

ドーナツを貰うために並ぶ時間にも、アトラクションの順番を待つ時間にも、何もせずにゴロゴロする時間にも言えるのは、その時間は「将来のために」使える可能性があったということだ。

つまり、ドーナツ2個を貰うために失ったのは「自己投資のための時間」なのである。

その1時間で、資格試験のための勉強が出来たかもしれないし、将来に繋がる人脈を手に入れることが出来たかもしれない。

 

ドーナツを貰うために1時間並ぶのはおバカなのか

結論から言うと、おバカではないだろう。 

確かに、1時間働いて280円しか貰えないというのはおかしな話だが、これは「労働」ではない。むしろ、ディズニーランドと同じ「娯楽」に近いのではないだろうか。自分がauユーザーであるから貰えるという優越感や、280円分でどんなドーナツが貰えるだろうかというワクワク、何よりもタダでいつもお金を払わなければ手に入らないものを貰えるという特別感が多くの人々を1時間も並ばせるのだろう。

この「優越感」「ワクワク」「特別感」などの感情的要素が重要だ。

感情的獲得+280円 > 950円

という不等式が、潜在的に消費者の頭の中には存在するのかもしれない。

世の中には、お金で買えないものが沢山あるのだ。

 

これからの三太郎の日対策 

 先に述べたように、ただ1時間並ぶだけでは「自己投資の時間」を失ってしまう。 

しかし、これは簡単に解決できるだろう。

列に並んでいる間に、スマホでゲームをするのではなく、読書をしたり、立ちながら出来る勉強したり、将来に繋がることをすればいい。

タダでものが貰え、感情的にも得をし、自己投資も出来る。

三太郎の日最高。

私はauユーザーではないが。

【ネタバレ無し】伊坂幸太郎 『AX』感想

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主人公・兜は愛する妻と愛する息子と暮らしている。

職業はプロの殺し屋だ。かなり、名の知れた。

 

この作品の大きな特徴の一つとして、「妻と夫のリアルな関係性」を描いていることが挙げられる。日本の多くの家庭で見られるような、妻が与党、夫が野党という構図だ。しかも、兜の場合、野党としての責任、つまり与党批判が一切果たせていない。

 

先に夫婦のリアルな関係性と述べたが、完全にリアルという訳ではない。普通、恐妻家の夫は結婚する前の妻の姿と現在の姿を比較したり、妻の言動に怒りや不満を覚え、家庭の雰囲気は最悪である場合が多そうだが、兜はそうではない。兜は以上なまでに妻に気を遣い、空気を読み、発言・行動する。そして、そんな兜は幸せそうなのだ。

それには、確たる理由がある。

彼が殺し屋だからだ。

 

兜が殺し屋であることを家族は知らない。彼が命掛けで戦い、お金を稼いでいることなど全く想像していないだろう。だからこそ、妻は夫に対し冷たかったり、全く反論をさせなかったり出来る。これは、現実の一般家庭の姿を、殺し屋という極端な例を使い、描いているように思える。世の中の多くのお父さんは、毎朝、早起きし、スーパーの特売の詰め放題でよく見られるパンパンな袋みたいに無理やり人が詰め込まれた満員電車に乗り、やりたくない仕事をしたり、人間関係に悩まされたり、上司の失敗が自分の失敗になったり、出世のことで頭がいっぱいでいつもビクついて仕事をしたりと「命掛けで」働いているのだ。しかし、そんなこと妻は気にしない。知らないのだ。(知らないフリをしている場合もありそうだが。)だから、夫が帰ってくるとため息をついたり、夫の話に反応しなかったり、夫を「糞じじい」呼ばわりできるのだ。

夫が必死で働いていることを忘れてはいけない。そんなことを語り掛けている様に思える。

 

殺し屋である兜は、常に死と隣り合わせだ。だから、妻と息子と共にいられるだけで幸せなのだ。妻が機嫌が良いと尚幸せ。そのため、兜は常に妻のご機嫌を伺う。それは決して苦痛などではなく、自分が幸せになるための工夫と言っても良いだろう。

家族と一緒にいられるだけで幸せ。そんな当たり前のことを思い出させてくれる。

 

この作品では、幾度か人の死が描かれている。しかし、その描写は決してグロテスクではなく、後味の悪さはあまり感じられない。そしてミステリー小説でありながら「えー!!!そんな展開あるー!?」みたいなドッキリや「くっそ、こいつ絶対許せねー」みたいな感覚に襲われることはないかもしれない。(個人的な感想像だが)この様に、作品中で大きなイベントが無くとも、面白かった!と思えるのは、伊坂幸太郎さんさすがだなーと感じる。伊坂さんの巧妙な伏線回収を期待し、この後どうなるのだろうとワクワクするからだろうか。

 

読み終わった後、きっと温かい気持ちになるではないだろか。

家族って大切だな。

 

自転車を両手離して漕ぐ奴、その理由を教えてください

うーん、わからない。

なぜ、両手を離して自転車を漕ぐのだろうか。

 

今日は2人もそんな人を見かけた。

 

高校生だった。

しかも、かなりスピードも出ている。

 

自分の背中よりも大きなランドセルを背負う小学生がたくさん通る道だ。

 

案の定、十字路に差し掛かった瞬間、ハンドルが握られていない自転車と横から飛び出してくるランドセルが接触しそうになる。

が、自転車は動じず進んでいく。

 

なぜ、両手を離すのか。

 

仮説1

カッコイイと思っている。

 

いやいや、

そのフォルム、上半身が人間で下半身が自転車の新生物みたいで、かっこよくないよ。

 

仮説2

体幹トレーニング

 

少し気になり、Googleさんで調べてみると、体幹を鍛えるためにという意見も見られた。

 

いやいや、

もっと安全で、他人を事故に巻き込まないトレーニング方法がたくさんあるでしょ。

 

仮説3

事故に遭いたい

 

ダメよ。

他人を巻き込んじゃ。

 

仮説

両手を使って自転車に乗れない

 

両手を使うと、どうもバランスが取れなくて。

的な?

 

そんな人いないか。

 

仮説5

そもそも、自転車は両手を使うということを知らない。

 

上記、仮説4のような能力的問題では無く、知識的な問題か。

 

もしそうなら、

自転車の乗り方を教えてくれたその人を恨んだ方がいい。

 

先ほど、Googleを使っていろいろ調べたが、

すぐに「両手離して自転車乗れるぜ!」という自慢動画がYouTubeに存在した。

 

なんだか、呆れてしまう。

両手離しはそんなに凄いことなのか。

 

そんなこんなで、自転車の両手離し運転に対して文句を吐いたが、

世の中には我々の想像を上回る真実が存在することが多々ある。

私たちが真実だと思い込み、信じるものは、誰かが創り上げた虚構の産物であることが度々あるのだ。

限られた一部の者のみ知る真実。

 

だから教えてくれ。

両手を離して自転車に乗る者たちよ。

あなたたちのみが知るその理由を。

 

この「自転車両手離し問題」について書かれたブログや知恵袋なども幾つか見られた。

 

みんな同じ様に、疑問を感じたり、嫌悪感を抱いたり、イライラしたりするものなのだなと何だか感心してしまった。

 

そんなことを思う私は

両手を離して自転車を漕ぐことが出来ない。

 

出来る奴すげーなー。

カッコイイわ。

尊敬するわ。

 

そんな恥ずかしいことを人前で堂々と出来て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファストフード店でバイトする君へ

私はあるファストフード店でアルバイトをしている。

そこで働くことで見えてきた、学生がアルバイトをすることにより、得られるもの失うものを考えてみたいと思う。

 

学生時代のアルバイト

高校生や大学生になると、アルバイトを始める人が多いだろう。

 

お金を稼ぐため、人生経験のため、就職のため

など働く目的は人それぞれだ。

 

だが、やはり、

遊ぶために働くという学生が多いのではないか。

 

遊ぶために働く

なんとも皮肉な言葉だ。

遊ぶためには、働かなくてはいけないのか。

(お金をかけずに遊ぶ方法もあるにはあるが。)

しかし、あまりにも無駄に働いている学生が多すぎる。

 

もし、

時給950円

5時間/1日

週3日

働いたとしたら

57,000円

稼ぐことできる。

 

57,000円あれば、

映画を38回観ることができるし、

飲み会に19回参加できる。

※映画は学生料金1,500円とした場合

※飲み会は一回3,000円とした場合

 

まあ、1ヶ月で映画を観に行くだけだったり、飲み会だけ行くなんてことあり得ないんだけれど

 

本当に、遊ぶためだけにアルバイトをするのであれば、月 57,000円も稼ぐ必要はない

 

本当に、遊ぶためだけにアルバイトをするのであれば

 

だから、考えてみて欲しい。

時間の大切さを。

遊ぶために最低限働き、他の時間は自己投資に充ててはどうだろう。

 

どうせ働くなら…

遊ぶために働く

どうせ働くなら、就活に有利なものを

 

そう考えている学生も多いのではないだろうか。

 

しかし、

アルバイトで得たもので就活に有利になることなど無い

 

アルバイト先の店長が、こんな事を言っているのを聞いたことがある。

接客業はコミュニケーション能力が養われるから、就活に役立つよ

本当にそうだろうか?

確かに、コミュニケーション能力は就活において重要視されるかもしれない。

しかし、

接客業のアルバイトによって養われるのは

元々コミュニケーション能力のある奴のコミュ力なのだ。

 

ほとんど初めて会う、店員を見下す様な客とコミュニケーションしたところで、

元々コミュニケーション能力のない者は、怖気づき、更にボソボソ話し、更に客の機嫌損ね、更に人と話すことが怖くなる

 

悪循環でしかない。

 

その時間、自己投資に充てませんか。

そんな悪循環にはまるくらいなら、

勉強したり、コミュニティを広げてはどうだろう

 

資格をとるための勉強でも良いし、プログラミングの勉強でも良いし、学校の勉強でも良い。

必ず、将来のためになるはずだ。

 

コミュ力のない奴が、コミュニティを広げるだって?

お前、バカか?

 

そう思った人もいるかもしれない。

 

しかし、「コミュニティを広げたい」という人達が集まる場所は大概、外からやってくる人間に対して寛容であることが多い。

 

だから大丈夫だ。

コミュ力が無くとも、受け入れてくれる。

むしろ、あなたに興味を示し、向こうから話しかけてくれるだろう。

 

話しかけてられるのは怖い。

そう思うかもしれないが、決して相手に敵意はないから、深呼吸をして、冷静に答えてみよう。

その一歩は、あなたが就職した際に必要となるコミュニケーションの土台と言っていいだろう。

 

まとめ

遊ぶためにアルバイトしようと思っている学生が、必要以上に働くことによって、

 

得られるもの

お金

共に働く仲間

協調性

メニューの知識

クローズ作業を早く終わらせるコツ

 

失うもの

資格試験の合格率

プログラミングスキル

学校の単位

コミュニケーション能力

将来役に立つ人脈

 

 

もちろん、アルバイトで得られるものもあるのだが、失うものを見ると悲しくなる。

 

バランスが大切なのだ。

 

程良く働き、程良く遊び、程良く学ぶ。

 

大学生を辞めた私が言うのはおかしいかもしれないが、これが重要だ。

 

将来、どうしてもやりたいことがあり、そのためにお金を稼ぐのならそれでいいかもしれない。

ただ、そうでないなら、限られた今という時間を大切にしてはどうだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元「意識高い系」のフリーター、ブログを始める。

はじめまして。

おおいしひろと申します。

 

私は“自称”アウトサイダーであり、

世の中の“正規ルート”から外れてしまった様に感じています。

しかし、こんな私でも、日々思うことはあるので、この場をお借りして綴らせていただこうと思います。

 

自己紹介

名前 おおいしひろ

年齢  20歳(2017年10月 現在)

性別  男

特技  特になし

趣味  読書、小説を書くこと、ラジオを聴くこと

簡単な経歴

2015年4月 学習院大学 経済学部経営学科 入学

その後、学生団体を立ち上げたり、国際ボランティアしてみたり、NPOの創設メンバーになったりする。

いろいろあって、企業のコンサルティングをしたりもする。

2017年4月 大学中退

現在 フリーター

 

「意識高い系」からフリーターへ

大学入学後、すぐに私は「意識高い系」というラベルを貼られることになる。

 

  • 学生団体を立ち上げ、国の機関とイベントを開催したりする
  • フェアトレードの普及を目指し、国際協力団体で活動
  • ある大学から誘われ、NPO法人の創設メンバーになる
  • 有名なジャーナリストに師事し、東日本大震災後の日本の政治について追う
  • なぜか、あるメーカーのコンサルティングに関わる

 

約2年間で、こんな事をしてきた。

そんな私は、一度何もかもを捨てたくなってしまう。

恥ずかしい話だが、気が滅入ってしまった。

私が「意識高い系」である原因だったものを全て投げ出し、大学も辞めた。

 

そして、現在はファストフード店でアルバイトをするフリーターだ。

 

フリーター、何かを発信したくなる。

最近は、家とアルバイト先の往復の日々。

以前の刺激ある「意識高い系」ライフから比べると、かなりすることも少ない。

ただ、頭の中は動いている。

考えてしまう。

そして、それを誰かと共有したくなる。

 

だから、このブログを始めてみる。

 

思うことを綴ってみようと思う。

 

こんな私ですが、よろしくお願いします。

政治、経済、映画、小説、人付き合い、働き方、生き方、お酒、珈琲…

などなど

いろいろな話題について、書いていきたいと思っています。

 

まだまだ未熟者の私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

最近思うこと

あーあ、生きるってなんだか難しいなー

見栄や欲望が無きゃ、そんなこと無いのかもしれないけど

宇宙にでも行って、大声を出したい気分だな。

(と、言うことで、宇宙ではなくこのブログで大声を出させていただきます。)